スペイン式国産生ハムとの出会い

まえがき
生ハムを通じ色々な人と出会い、その中の一人でもある国産生ハム普及協会の会長 野崎さんより協会ホームページのコラム欄で生ハムについて何か書いてと依頼され、安易にその話を受けてしまい後悔しながら書いています。

人に読んでもらえる文章を作るのは、苦手なのでお断りしようとも考えましたがこの機会に備忘録として書き留めることに・・・・

何を書けば良いのか色々思案した結果、私に書けるのは、十数年自己体験した事を玄人目線では無く、素人目線でハム作りの疑問、トラブル、食べ方、ツール、グッズ等マニアックに書ければと思っています。
特にハム台(ハモネロ)は、理想の物を予々作りたいと思っていて十数年使用しているスペイン製の物は、国産生ハムにはサイズ的に不向きで、それに適合し安価になる方向で現在図面を何枚か作成しながら検討中で来年の生ハムフェスティバルには、お披露目したいと思っています。

今回は、絶対に最初に書きたいと思っていた、生ハムの恩師の出会いから書く事にします。

スペイン式国産生ハム(ハモンセラーノ風長期熟成ハム)との出会い

私の長期熟成ハムとの関わりは、遡ること15年前の2004年9月16日に、青森県十和田へ出張した折に立ち寄った当時秋田市内の金子裕二さんが営むグランビア レストラン併設バルを訪ねたことから始まります。

それまで趣味で、段ボール箱でつくる燻製から始まり自分で、手作りしたスモーカーそれを温度コントロールする制御装置を自作して、ベーコン、ロースハム作りを楽しんでいた頃、最終目標の延長線に有ったのは、自家製生ハムでした。

その頃は、生ハムといえば大手メーカーが作るラックスハムをイメージしてましたがそれを作りたいと思ってどこか教えてくれる所は無いかと探していたところまだ、今の用にネットが普及してなくて,貧弱な検索サイトで生ハムの作り方を検索したら幾つかのホームページから金子さんに辿り着き、そのホームページでハモンセラーノの事を初めて知りました。

先ずは、秋田へ行き金子さんに会う機会を伺っていた頃、十和田で以前納めた装置の修理依頼を受けたのでその帰りに寄ることにしました。
十和田での仕事も終わり次の日は、十和田を観光がてら十和田湖畔のホテルで一泊し、
翌朝秋田市官庁街の裏手にあるグランビアに伺うことに到着した時は、既に昼食時間は過ぎていましたがお店に入りランチ、生ハムセットやピザを頼みました。
今思えばこの時が生ハムの聖地に一歩踏み入れた瞬間だったと思います。
生憎、金子さんは、不在でしたが人生初の国産生ハムを噛みしめ今まで食べていたものとは、明らかに違う事を実感した瞬間でもありました。
食事をしながら応対してくれた金子さんの奥さんと生ハムについて会話していたら生ハムに興味が有るならと言うことで、金子さんを呼んで貰うことになり数十分程度待っていると金子さんが来られ色々生ハムの事を聞くと併設のバルへ案内して頂き 天井からぶら下がった原木を見せて頂きその後工房へと案内してくれることになりました。

その頃の工房は、現在の田沢湖では無く秋田県仙北郡協和町船岡にカナディアン風のログハウス2棟(写真は、2回目の生ハム塾参加の当時に撮影)を構えていて現在の田沢湖は、それを移築したものです。現在は、移築時に材料の関係で1棟しか建てられなかったみたいです。
そこには、数百本の熟成中の原木が吊されていました。

この年の11月に生ハム塾を開催する事を聞きその場で、受講する事を決め、その時は、一回位の積もりでしたが、それが毎年2回以上、秋田へ15年間も通うとは、夢にも思っていませんでした。
ここから私の秋田生ハム旅行が年中行事になり、そこで知り合った人も増え、今では、生ハム完成パーティーの前日に、気のあったハム友と前夜際などをして、交流を図っています。
話を戻しますが、工房で歓談し時間も午後四時を過ぎていたので、金子さんから工房で宿泊しないかと進められましたが、残念でしたが翌日仕事の関係上帰らないと行けないので、生ハムをブロックで分けて貰い工房を後にし帰路に就く事にしました。

エピソード

エピソード
生ハムと話題は、変わりますが これを書いてて、思い出したので少し書留めておきます。
出張の帰りに宿泊した十和田湖レークビューホテルの夕食で生ビールを大ジヨッキ2杯飲んだ後に1本¥8,000位のフルボトルワインを二人で、2本空けたら翌日、ホテルの女性ホールスタッフから大丈夫でしたかと聞かれ、大丈夫だと答えたら素晴らしーと、言う言葉が帰って来たのを今のように覚えています。若かったかもしれませんが全くと言って良いほど翌朝アルコールが残ってなかったです。